セツナブルースター
『キセキ』
15th Anniversary
涙を1粒だけ我慢する
それだけの事
街の片隅に生きる君に、そして僕達に
青い春を駆け抜ける星たちのメジャー1stアルバム
(オリジナルリリース当時のキャッチコピー再録)

2002年12月11日にリリースされたセツナブルースターのメジャー1stアルバム『キセキ』の発売15年を記念して特設ページがOPEN! いまだに色褪せない青春の名盤の魅力を特集します。

15年前に産み落とされた青春の名盤『キセキ』
大人になるとまどいのなかイノセンスの旗を掲げよ

SPECIAL LINER NOTES

 15年前の冬、ヘッドホンから小さな音で流れる『キセキ』を聴きながら歩いていた。若者がたくさん集う小さな町だった。駅の改札を抜けると、そこには、はちきれそうな夢となんにもうまくゆかないもどかしさを抱えた若者たちの喧騒があった。そこには、(もしかしたら若き日だけを共有することになる)仲間と笑い声を挙げる若者がいた。押しつぶされそうな顔をした若者がいた。スクッとした目線を前に向けた若者がいた。そこには、「ひとり」を抱えた若者ばかりがいた。

 『キセキ』はセツナブルースターという、なんとも胸をかきむしられるロマンチシズムにあふれた名前のスリーピースバンドが2002年12月に出したアルバムだ。当時、彼らは二十歳の若者だった。

 冬だったから余計にそう感じたのだろうか。肌を射る厳しい寒さと、透き通った冬の空気に、『キセキ』に収められた10曲の美しさはとてもしっくりときた(もちろん、春に聴いても、夏に聴いても、秋に聴いてもいいのだが)。

 彼らの歌からは、子どもと大人の境目にいる若者が、「少年季」にある大事なものが壊れないよう必死に守ろうとする痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識は今にも崩れそうなギリギリのバランスで成り立っていた。しかし、大事なものを守るために、大人たちの世界へのファイティングポーズが取られているのだが、振り上げた拳の行き場を見つけられない。そんなもろさがあった。

 つまらない大人になることを拒否する、と割り切れるほど単純ではないし、そもそも大人になること(成長するってこと)がわからない。自分の「少年季」は、もう明日にも終わってしまうかもしれない。彼らの危うい青春が突き刺さった。

 『キセキ』を聴きながら歩いていると、少し涙が滲んだ。当時の自分は30歳だったが、青春期から胸の奥でひっそりと守ってきた大事なものが、彼らの歌に共鳴した。あの頃の不安、いらだち、一縷の望みが、そこにはあった。あの頃の風景が鮮やかに蘇った。

 今でも町の喧騒を眺めていると、ふと彼らの歌を口ずさんでいる自分に気づく。青春とはかくも終わりのないものなのか。

 セツナブルースターは同じ高校に通う倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)が、1年生の時に結成したバンドを前身としている。1998年のことだ。19歳になった2001年4月にはファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』、12月にはセカンドアルバム『「二十歳」より』をインディーズレーベルからリリース。2002年6月のメジャーデビューシングル「少年季」を挟み、12月にこの『キセキ』をリリースした。

 激情とセンチメンタルが暴れる歌とバンドサウンドが持ち味だった彼らは、ハイピッチでライブとレコーディングを重ねながら成長を遂げた。言葉、メロディ、フレーズ、アンサンブルの一つひとつが研ぎ澄まされ、丁寧に丁寧に、青春のただなかで誰もが抱えている身悶える思いと、そこにある風景を歌に紡いだ。

 『キセキ』は15年前に産み落とされた青春の名盤だ。しかし、そこにあるのは明るい青春ではない。あるのは、ゆらゆらと揺れる青白い炎を光源に、出口の見えない荒野を歩くような痛々しい青春といってもいい。ただ、明るくあろうとも、暗くあろうとも、心にある青春の思い、アンバランスさはみんな同じだろう。いつの時代も。

 先に「もろい」「危うい」とも書いたが、彼らの歌には凛とした強さがある。大人になるに連れイノセンスを失っていくことへの恐れととまどいを隠さず、失うことを拒否する決意とも言える強さがある。あきらめに負けまいとする祈りがある。それらが彼らの歌に美しさとはかなさをもたらしているのだ。

僕は泣きそうなくらいな思い出に造られながら信じていた今に教えられる
僕は今病気だってさ 僕の過去を否定したそれは自分自身であり僕と青春を共に歩む(「四度目の青春」)

大人になった僕の変わらない歌を歌う奴等が笑われぬ様に……(「かけら」)


涙を一粒だけ我慢する。それだけの事 それだけの事
それができたらみんなの為に「声」を枯らして歌うたうんだ(「心臓」)


 この10曲で聴ける言葉は痛切な希望であり、夢。心をかき乱す言葉の数々は、大人との、社会との軋轢のなかで若者を勇気づける。

 『キセキ』がリリースされた頃、彼らのライブを何度か見たことがある。激しくスリリングな演奏を聴かせていた。繊細な響きを奏でていた。研ぎまくったソリッドな演奏ぶりからは、ヒリヒリとしたムードが漂っていた。ギターソロでは、倉島が背筋を伸ばし、ギターを小銃のように構えてかき鳴らしていた。まるで少年兵のようだった。

 あの頃は彼ら自身も青春期の只中。周囲の大人たちにもまれながら「このバンドで売れる!」という夢に挑んでいた。

 彼らの歌に現れているのは、彼であり、彼女であり、私であり、あなた。かつての若者であり、今の若者だ。いつの時代にもあるまっとうな青春像が鮮やかに描かれている。

 『キセキ』はあまり売れなかった。だから、ひっそりと産み落とされた名盤かもしれない。でも、何度でも、いつでも、繰り返し聴かれることだろう。この世界から、みんなの人生から、青春が消え去ることはないのだから。

 時を超えて『キセキ』は共鳴する。今、青春に笑い、泣く人たちに、この大事な作品が届きますように。
文=山本貴政

  • 『キセキ』
    2002.12.11 Release
    East West AMCM-10035 ¥2,571(tax in)

    01. なないろ
    02. 死んで行く僕らの目に
    03. 少年季
    04. みんなの歌
    05. 四度目の青春
    06. かけら
    07. 車窓から
    08. エレジー
    09. 菫に似ている
    10. 心臓 iTunes
セツナブルースター

倉島大輔(ヴォーカル、ギター)島田賢司(ベース、ヴォーカル)宮下裕報(ドラムス、ヴォーカル) 1998年10月長野にて、前身となる“上海PIZZA”を結成。地元を中心に活動しながら、 01年4月18日にファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』(DCCM−2)をMULE RECORDSよりリリース。同年7月にはFUJI ROCK FESTIVAL01に出演。10代の心象風景を、激しさとせつなさとともに描く楽曲とライブで話題を呼ぶ。たたみかけるように同年12月19日にセカンドアルバム『「二十歳」より』(DCCM−5)をリリース。02年には全国規模でのライブ活動を行うようになり、6月12日にメジャーよりのファーストシングル『少年季』(AMCM−10019)をリリース。同年の12月11日には同じくメジャーよりバンドとしてのサードアルバム『キセキ』(AMCM− 10035)をリリース。その後、活動の場をバンドのレーベル等へと移行させつつ精力的に活動しながらも、2008年2月23日吉祥寺プラネットKのライブを持って活動休止に入る。

  • 1st Album
    『エヅラ・ガラ・セツナ』
    2001.4.18 Release
    Mule Records
    DCCM-2 ¥1,890(tax in)

    メンバーが10代の時に制作した
    セツナブルースターのファーストアルバム。
    演奏、サウンドプロダクションは荒削りながら、
    単なる10代の心象風景の記録にとどまらない作品。

    1.帰り道
    2.夢
    3.ソリッド
    4.シャバ・ダ
    5.CHICKEN
    6.少年A
    7.あすなろ iTunes
  • 2nd Album
    『「二十歳」より』
    2001.12.19 Release
    Mule Records
    DCCM-5 ¥2,000(tax in)

    ファーストアルバムからわずか8か月後に
    リリースされたセカンドアルバム。
    収録楽曲の歌詞、演奏、アレンジにも幅が出て、
    激情感だけではない深みが出たドラマチックな作品。

    1.六月の朝
    2.悲しみのバラード
    3.ヒマワリ
    4.雨音
    5.靨のない男
    6.散歩
    7.紫色のマフラー
    8.十二秒 iTunes
  • 2nd Single
    『うたかたは今』
    2002.2.20 Release
    Mule Records
    DCCM-1004 ¥1,000(tax in)

    ライブ会場限定発売で2004年に
    リリースされた2曲入りシングル。
    「キセキ」に続く作品として、
    青春期の痛みを昇華した2曲が胸を締めつける作品。

    1.涙の成分について
    2.うたかたは今 iTunes

DECEMBER'S CHILDREN<昼の部>
倉島大輔
セツナブルースター「キセキ」リリース15周年記念
「キセキ」全曲演奏ライブ&モア

  • 12月3日(日) Open 12:00 / Start 12:30
    会場:赤坂BLITZ
    出演:倉島大輔
    スペシャルゲスト:島田賢司、宮下裕報


    チケット:

    1F自由席 ¥3,240 (税込・整理番号付・ドリンク代別)
    アンダー18チケット(1F自由席) ¥2,000- (税込・整理番号付・ドリンク代別)

    チケット発売日2017年11月04日(土) 10:00

    【オフィシャルHP先行】
    受付期間:10/06(金)12:00~10/15(日)23:59
    受付URL:http://eplus.jp/kiseki15th/

    INFORMATION: SOGO TOKYO 03-3405-9999

    イベントHP
    http://www.decemberschildren.jp/
  • この度「キセキ」発売15周年という事で今回の企画が持ち上がり、こうして改めて振り返ってみると15年という月日はとても長く、昨今めまぐるしく移り変わってゆく現代社会において、「キセキ」と共に歩み続けてくれるファンの方々がおられる事が本当にありがたく、感謝しかありません。まずは心より御礼申し上げたいと思います。

    今回は弾き語りを中心にバンド形態も含め「キセキ」を全曲演奏します。バンド「セツナブルースター」としての演奏を実際に観た事がない方も少なくないと思いますので、どんな反応になるのか今からとても楽しみにしています。早速メンバーとリハーサルをしてみましたが、演奏が始まると同時にあの頃の「想い」が蘇る様な、なんとも形容し難い感覚にとらわれました。きっとこれが今のセツナブルースター。当日会場で届けたいと思います。

    ソロになってからはミニマムな活動がメインとなりましたが、それでも応援を続けてくれた皆様や足繁く会場に通ってくれた皆様に少しだけ恩返しが出来そうです。いつもより少し広い会場でゆっくりとお楽しみ下さい。

    倉島大輔
「キセキ」

SPECIAL LINER NOTES

 15年前の冬、ヘッドホンから小さな音で流れる『キセキ』を聴きながら歩いていた。若者がたくさん集う小さな町だった。駅の改札を抜けると、そこには、はちきれそうな夢となんにもうまくゆかないもどかしさを抱えた若者たちの喧騒があった。そこには、(もしかしたら若き日だけを共有することになる)仲間と笑い声を挙げる若者がいた。押しつぶされそうな顔をした若者がいた。スクッとした目線を前に向けた若者がいた。そこには、「ひとり」を抱えた若者ばかりがいた。

 『キセキ』はセツナブルースターという、なんとも胸をかきむしられるロマンチシズムにあふれた名前のスリーピースバンドが2002年12月に出したアルバムだ。当時、彼らは二十歳の若者だった。

 冬だったから余計にそう感じたのだろうか。肌を射る厳しい寒さと、透き通った冬の空気に、『キセキ』に収められた10曲の美しさはとてもしっくりときた(もちろん、春に聴いても、夏に聴いても、秋に聴いてもいいのだが)。

 彼らの歌からは、子どもと大人の境目にいる若者が、「少年季」にある大事なものが壊れないよう必死に守ろうとする痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識は今にも崩れそうなギリギリのバランスで成り立っていた。しかし、大事なものを守るために、大人たちの世界へのファイティングポーズが取られているのだが、振り上げた拳の行き場を見つけられない。そんなもろさがあった。

 つまらない大人になることを拒否する、と割り切れるほど単純ではないし、そもそも大人になること(成長するってこと)がわからない。自分の「少年季」は、もう明日にも終わってしまうかもしれない。彼らの危うい青春が突き刺さった。

 『キセキ』を聴きながら歩いていると、少し涙が滲んだ。当時の自分は30歳だったが、青春期から胸の奥でひっそりと守ってきた大事なものが、彼らの歌に共鳴した。あの頃の不安、いらだち、一縷の望みが、そこにはあった。あの頃の風景が鮮やかに蘇った。

 今でも町の喧騒を眺めていると、ふと彼らの歌を口ずさんでいる自分に気づく。青春とはかくも終わりのないものなのか。

 セツナブルースターは同じ高校に通う倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)が、1年生の時に結成したバンドを前身としている。1998年のことだ。19歳になった2001年4月にはファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』、12月にはセカンドアルバム『「二十歳」より』をインディーズレーベルからリリース。2002年6月のメジャーデビューシングル「少年季」を挟み、12月にこの『キセキ』をリリースした。

 激情とセンチメンタルが暴れる歌とバンドサウンドが持ち味だった彼らは、ハイピッチでライブとレコーディングを重ねながら成長を遂げた。言葉、メロディ、フレーズ、アンサンブルの一つひとつが研ぎ澄まされ、丁寧に丁寧に、青春のただなかで誰もが抱えている身悶える思いと、そこにある風景を歌に紡いだ。

 『キセキ』は15年前に産み落とされた青春の名盤だ。しかし、そこにあるのは明るい青春ではない。あるのは、ゆらゆらと揺れる青白い炎を光源に、出口の見えない荒野を歩くような痛々しい青春といってもいい。ただ、明るくあろうとも、暗くあろうとも、心にある青春の思い、アンバランスさはみんな同じだろう。いつの時代も。

 先に「もろい」「危うい」とも書いたが、彼らの歌には凛とした強さがある。大人になるに連れイノセンスを失っていくことへの恐れととまどいを隠さず、失うことを拒否する決意とも言える強さがある。あきらめに負けまいとする祈りがある。それらが彼らの歌に美しさとはかなさをもたらしているのだ。

僕は泣きそうなくらいな思い出に造られながら信じていた今に教えられる
僕は今病気だってさ 僕の過去を否定したそれは自分自身であり僕と青春を共に歩む(「四度目の青春」)

大人になった僕の変わらない歌を歌う奴等が笑われぬ様に……(「かけら」)


涙を一粒だけ我慢する。それだけの事 それだけの事
それができたらみんなの為に「声」を枯らして歌うたうんだ(「心臓」)


 この10曲で聴ける言葉は痛切な希望であり、夢。心をかき乱す言葉の数々は、大人との、社会との軋轢のなかで若者を勇気づける。

 『キセキ』がリリースされた頃、彼らのライブを何度か見たことがある。激しくスリリングな演奏を聴かせていた。繊細な響きを奏でていた。研ぎまくったソリッドな演奏ぶりからは、ヒリヒリとしたムードが漂っていた。ギターソロでは、倉島が背筋を伸ばし、ギターを小銃のように構えてかき鳴らしていた。まるで少年兵のようだった。

 あの頃は彼ら自身も青春期の只中。周囲の大人たちにもまれながら「このバンドで売れる!」という夢に挑んでいた。

 彼らの歌に現れているのは、彼であり、彼女であり、私であり、あなた。かつての若者であり、今の若者だ。いつの時代にもあるまっとうな青春像が鮮やかに描かれている。

 『キセキ』はあまり売れなかった。だから、ひっそりと産み落とされた名盤かもしれない。でも、何度でも、いつでも、繰り返し聴かれることだろう。この世界から、みんなの人生から、青春が消え去ることはないのだから。

 時を超えて『キセキ』は共鳴する。今、青春に笑い、泣く人たちに、この大事な作品が届きますように。

文=山本貴政



001

「音楽と人」2002年1月号
インタビュー



――バンドの結成は、高校のとき?
倉島大輔(ヴォーカル&ギター)「高1の時、文化祭に出るためにバンドをやろうって話になって、僕と宮下で作ったのが最初。そのうちベースが抜けちゃって、仲が良かった賢司にやらせようと思って」
宮下裕報(ドラム)「で、次の日に質屋で5000円のベースを買わせた」
島田賢司(ベース)「2万円だよ!」

――(笑)。わりとフツーの高校生ですね。最初から「音楽しかないんだ」みたいな、強い意志があったわけじゃないんだ?
倉島「全然、違いますね。音楽で食っていこうってことも、まったく考えてないし。まあ、趣味ですね。とりあえずバンドをやってることが、その時の自分たちのなかではすごいカッコいいことだったから。フツーの高校生ですよ。バイトしたり遊んだり……」

――あ、そうなんだ。セツナの歌を聴いてると、<周囲になじめない、鬱屈した青春>ってイメージをどうしても持ってしまうんだけど。
宮下「いや、すごく楽しんでた(笑)」
島田「バンドをやってたのはこの3人なんですけど、7~8人の仲のいいグループがあって、みんなで遊んでましたね。バイクでどっか行ったり……」
倉島「海とかね」
島田「冬になりゃあ、ボードやったり」
宮下「相当、遊んでたね。勉強はまったくしなかったけど」

――バンドも遊びのひとつだった?
倉島「そうですね。いろいろ遊んでるなかで――悪い遊びもかなりしたけど(笑)。そのなかで、バンドが一番、俺の中では憧れだったっていうか。一番ドキドキするものだったから、ずっとやってるんだと思うけど。ライヴもすごい楽しかったし。で、そのうちのめり込んで。最初はコピーばかりだったけど、すぐに物足りなくなって、オリジナルをはじめて」

――そのころの曲って、どんな感じ?
島田「今とはまったく違った感じの曲調だったと思います。もっとパンクっぽいっていうか、ノリ重視な感じだった」

――「楽しけりゃいいんだよ」って?
倉島「そう。自分の歌の世界の中にのめりこんでどうこうっていう音楽の楽しみ方でなくて、スタジオに入って、適当にコードだけつないで、みんなでガチャガチャやって、『はい、1曲できました。イエーイ!』って感じ。あとはライヴで思いきりがなって、盛り上がって終わり」

――いまのセツナブルースターの世界観とは180度違いますね、それ。
倉島「そうですね。歌詞もぜんぜん違うし。絶対に公開できないけど(笑)」

――自分の内面的なことを唄うようになったのは、いつくらいなんですか?
倉島「……いちばん最初のデモテープを録るきっかけになった曲があって。それまではガンガンいける曲ばっかりやってたんだけど、突然、ちょっとバラードっぽい曲がポツッと出来たんですよ。最初は、そういう曲ってこっぱずかしかったんだけど、バンドに持っていって演奏したら、すごい気持ち良いことがわかって。そこからですね、『あ、俺はこんな歌も書けるんだ』って。それが高3の夏くらいだったかな」

――その曲を聴いて、宮下さんと島田さんは、どうでした?「倉島、何かあった?」みたいなことを思ったりしました?
宮下「<いい曲だな>とは思ったけど、別にそんなことは考えなかったかな」
倉島「そういう話は一切しないからね」
宮下「バカ話ばっかり」
倉島「バンドのことで真剣にミーティングとか、めちゃくちゃ嫌いなんで」

――バンドの方向性というか、「次は、こういう曲をやってみようよ」って話は?
宮下「それもしない(笑)」
倉島「僕は考えますけどね、やっぱり曲を書いている立場だから。次はこういうのをやってみようよって思って、(曲を)書いたりはする。たぶん、そこで僕が思ってることと、メンバーが考えてることが、食い違ったことがない……って、僕は思ってるんだけど」

――宮下さんと島田さんは、どうですか?
宮下「うーん、やっぱり、大輔の作る歌が好きなんで。ドラムにしても、歌に合ったドラムと自分のやりたいことを混ぜる感じでやってるし」
島田「だから、各々がちゃんと考えてるんじゃないですか?」
宮下「そう、いちいち言う必要がない」
島田「何も言わなくても、次の日にスタジオに入ったら、未完成だった曲がちゃんと完成に近づいてますから。そういうスタイルでずっとやってきたし、(音楽の)話をしないのがいいのか悪いのかはわかんないですけど、曲も問題なく出来てるので、それはそれでいいかなと」
倉島「そのやり方で成長できてると思うし、ライヴも楽しんでやれてるので。だから、話さなくちゃいけない理由もないんですよ」

――なるほど。言葉に出して話さなくても、倉島さんの曲を共有できてるんでしょうね、きっと。
倉島「うーん、ここまで長くやってるバンドは初めてだから、何とも言えないですけど……だけど、このバンド以外でやるっていうのは、考えられない。なんでそう思うか、よくわかんないですけど。たぶん、仲が良いからじゃないですか(笑)」

――(笑)。いまでも3人で遊んでる感じだったりするの?
倉島「いや、それがおかしいんですけど、ぜんぜん遊んでないんです。基本的に人見知りなんで、友達もいないし」
島田「高校の時みたいな感じではないですね、何でだろう……」
倉島「オレらって出身が長野なんですけど。自然が多いんですよ、長野って。だから、自然な遊びをしてたんですよね、アウトドア系の。スノーボードだったりスキーだったり、山に登ったり。そういうのが、東京にはないから……」

――3人で閉じこもっちゃうんだ(笑)。そういう状況だと、<音楽しかない!>みたいにならない?
倉島「まあ、どっかの境目から……音楽に対する考え方とかも変わってきてるとは思いますけどね、3人それぞれ。今は、人生のなかで一番、大事なものですから、音楽は。生きるために必要というか、これしかやることがないから。音楽を取り上げられたら、困るでしょうね、きっと」

文 / 森 朋之



002

「四度目の青春」
直筆歌詞


003

「少年季」リリース時
アーティスト写真アウトテイク


004

アーティスト写真


005

「PLUPPER」2002年 vol.33
インタビュー

――アルバムの制作はいつ頃から始めたんですか?
倉島(Vo&G)「曲作りに入ったのは7月の終わりぐらい。レコーディングは8月末から10月半ば。レコーディングに入った時点でまだ出来てない曲もあったんで、レコーディングしながら曲書いてっていう感じ」

――アレンジを結構いろいろ錬ってるなぁって感じました。
倉島「今回のアルバムは、僕らにとってみたら珍しい作り方をしたんですね。今までは、たくさん曲があって、ライヴでもやってて、曲をライヴで成長させてからレコーディングに入るっていう形だったんですよ。今回、作った曲をほとんどライヴでやってないんです。スタジオでアレンジを考えてっていう感じで作っていったんで、今までと違ったアレンジになったかもしれないですね」

――そういう状態でのレコーディングはどうでした?
島田(B)「長いことスタジオ入ったレコーディング初めてだったんですよ。煮詰まったりはありましたけど、いろいろ考えたりとかして、今思うと楽しかったですよ、すごい」
宮下(Dr)「うん、終わってみれば楽しかったです」
倉島「でもやっぱり大変でしたけどね(笑)」

――8曲目「エレジー」なんか聴かせてもらうと、ラストのあたりなんかは、全員が自由に演奏している感じがしました。すごくライヴ感のある演奏だったなって。
倉島「アルバム通して、ライヴ感を失いたくなかったんですよね。だからレコーディングの途中でもアドリブとかありましたよ。『エレジー』は、最後のほうになるとアドリブだらけで(笑)。この曲に関しては、アレンジを煮詰めてなくて、その場の勢いだけで、メンバーの意識が高まってるっていうか、いい感じで燃えてる時にぱっと録った曲で。だから一番最後のほうに録りましたね」

――サビが頭にきていて、ヴォーカルとギターだけでしたよね。それがあんなにライヴ感のあるエンディングになると思わなかったです。
倉島「サビから入る曲を作ってみたかったんで、やってみただけなんですけど。だからどうやろうかっていうのは悩まなくて、自然にああいう終わり方になったっていう感じでしたね。レコーディングのブースの中にあるものをぶっ壊しそうな勢いで(笑)最後はめちゃめちゃになって」

――(笑)。『エレジー』から『菫に似ている』の流れもそうなんですけど、スピードやその曲のテイストが違うのに、意外に思えるぐらいにすんなり聴けたんですよね。
倉島「曲順は、考えたといえば考えたんですけど、僕の中ではショートフィルム、映画の短編集みたいな感じで。だから短編、短編で楽しんでもらえるんじゃないかなって思ってたんで、あまり悩まなかったんですけど。『なないろ』は、シングル『少年季』のすぐ後に出来た曲で、いい曲だなって思ったんで、1曲目にしようって」

――その「なないろ」、ラストの間奏がすっごくよかったです!
倉島「あれ、いいですよね」
島田「スタジオで結構煮詰めていく時間があったっていうか、ライヴでもできたし。激しくなるところとかは、ライヴって感じじゃないですか。それをスタジオでやってもすごい緊張感があって。本当、1回落として、たたみかけるっていうのが、録ってる時とかも、やってるほうとしたら、結構ノリノリで」
倉島「他の曲はリバーヴ使ったり、浮遊感だったり、サウンドの広がりみたいなものを空間的に表現したりしてるんですけど、『なないろ』に関しては、いろいろミックスしてみたんですけど、リバーヴとかがすごい似合わなくて。だから録ったその状態の音なんですよ。そういうところでライヴ感が出たんじゃないかなって」

――「少年季」を除けば、唯一ライヴでやった曲です?
倉島「あと『死んで行く僕らの目に』もやりましたね」

――じゃあ、そこである程度、アレンジは固まってた?
倉島「ライヴとレコーディングではアレンジ違うんですよ。詞もノリも変えたんで。たぶん、一番作り込んだのが『死んで行く僕らの目に』。僕らの好きなサウンドアドバイザーさんといろんなことやったんで」
島田「ライヴでやったのとまったく違う方向に持っていくのは大変でしたね。前に聴いてたものが頭の中に残ってたんで、難しかったです」
宮下「本当に大変でした(笑)」
倉島「このアルバムの中では、『少年季』を除けば、『なないろ』の次に出来た曲なんですけど、録ったのは最後から2番目とか3番目なんですよ」

――かなり煮詰めたんですね。ギターはもちろん、リズム隊もいろんなことやってますよね?
島田&宮下「…そうですね(照笑)」

――例えばベースをギターのように弾いてたり。
島田「頭の中に浮かんだものを、ベースっぽく変えるっていうのが、あまり好きじゃないんですよ。頭に浮かんだものをそのまま弾くっていうのが、自分でいいかなって思ってるんですよね(照笑)」
倉島「第2の歌メロをつけてる感覚らしいんですよ」
島田「歌を歌う感覚でつける感じですかね」

――へぇ~!あと「かけら」。疾走感のあるサウンドで、これはドラムが良かったんですよ。
宮下「いや、全然(笑)。やりたいことやったって感じで」

――そして、詞なんですけど、なんとも言えなく切なくて胸に染みてくるんですよね…どんな感じで作ってるんです?
倉島「曲の雰囲気で歌詞を作っていく時もあるし、ある一節が浮かんで、そこから広がっていく時もあったり。曲が出来たら机に向かってシャーペン持って…9時間ぐらい微動だにせずに(笑)。それが30日ぐらい続いたんで、辛かったですね(笑)。早く書けた詞はないんですけど、意外と『心臓』は早かったかな。レコーディング中、本当ギリギリに一番最後に書いたんですよ」

――歌詞の内容見るだけで、いいレコーディングだったんだなって感じられる前向きな詞ですね。ちなみに「菫に似ている」はどんなふうに書いていったんですかね?
倉島「1つ書いておきたいことがあって、その詞なんですよね。すごくイメージ的な曲だと思うんで」

――苦戦したものってありました?
倉島「全部苦戦してます。さっきの9時間っていうのは冗談で、連続9時間やってたわけじゃないけど、全部9時間以上ですね(笑)。一日で書けた詞は1つもないですね。(サザエさんの)伊佐坂先生の気持ちがよくわかった(笑)」

――(笑)。かなり充実の10曲だったと思うんですけど、これはもう達成感あるんじゃないですか?
倉島「そうですね、すごい気に入ってますね。高校に入る時の受験勉強ぐらいかな、こんなに頑張ったの(笑)。それぐらい頑張った。どの曲も思い出深いし。曲を書く立場から言うと、もうちょっといろんな幅を広げてみたいなって。今までなかった曲を何曲もやったりすると、失敗するかもしれないじゃないですか。そういう不安もありつつ、正直なところ、作ったところもあるんですけど、ガッチリできましたからね。だから充実感はすごいありますね」
島田「うん。自分ではすごい納得してる」
宮下「トータル的に聴いた時に、いろんなものが入ってて、1枚聴いて1つのものになってるっていう感じに出来たし」

――正直、詞の内容とヴォーカルに引っ張られて、10曲聴いたらサウンドが重く聴こえるんじゃないかなって思ってたんです。それが楽曲の面白さで緩和された気がします。
倉島「すごい前向きな気持ちで作ってたんで、やりたいこともあったし、そういうところから下手にありきたりにならなかったからじゃないかなという気がします」

――リリース後、ツアーがありますよね。
宮下「ライヴっていうものに関して、作ってやるのって嫌いなんで、自分たちがその時思ってることとかを吐き出していけばいいかなって思います」



006

「なないろ」
直筆歌詞


007

「キセキ」
リリース時フライヤー




008

ツアー「虹まち」
配布フライヤー


009

「少年季」リリース時
アーティスト写真セレクトシート


010

「キセキ」リリース時
アーティスト写真セレクトシート


011

TOUR“セツナ19”
配布フライヤー




012

TOUR“セツナ19”
配布フライヤー


013

ステッカー




014

PV「なないろ」絵コンテ




























015

「つゆこうもり」フライヤー