セツナブルースター
『キセキ』
15th Anniversary
涙を1粒だけ我慢する
それだけの事
街の片隅に生きる君に、そして僕達に
青い春を駆け抜ける星たちのメジャー1stアルバム
(オリジナルリリース当時のキャッチコピー再録)

2002年12月11日にリリースされたセツナブルースターのメジャー1stアルバム『キセキ』の発売15年を記念して特設ページがOPEN! いまだに色褪せない青春の名盤の魅力を特集します。

15年前に産み落とされた青春の名盤『キセキ』
大人になるとまどいのなかイノセンスの旗を掲げよ

SPECIAL LINER NOTES

 15年前の冬、ヘッドホンから小さな音で流れる『キセキ』を聴きながら歩いていた。若者がたくさん集う小さな町だった。駅の改札を抜けると、そこには、はちきれそうな夢となんにもうまくゆかないもどかしさを抱えた若者たちの喧騒があった。そこには、(もしかしたら若き日だけを共有することになる)仲間と笑い声を挙げる若者がいた。押しつぶされそうな顔をした若者がいた。スクッとした目線を前に向けた若者がいた。そこには、「ひとり」を抱えた若者ばかりがいた。

 『キセキ』はセツナブルースターという、なんとも胸をかきむしられるロマンチシズムにあふれた名前のスリーピースバンドが2002年12月に出したアルバムだ。当時、彼らは二十歳の若者だった。

 冬だったから余計にそう感じたのだろうか。肌を射る厳しい寒さと、透き通った冬の空気に、『キセキ』に収められた10曲の美しさはとてもしっくりときた(もちろん、春に聴いても、夏に聴いても、秋に聴いてもいいのだが)。

 彼らの歌からは、子どもと大人の境目にいる若者が、「少年季」にある大事なものが壊れないよう必死に守ろうとする痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識は今にも崩れそうなギリギリのバランスで成り立っていた。しかし、大事なものを守るために、大人たちの世界へのファイティングポーズが取られているのだが、振り上げた拳の行き場を見つけられない。そんなもろさがあった。

 つまらない大人になることを拒否する、と割り切れるほど単純ではないし、そもそも大人になること(成長するってこと)がわからない。自分の「少年季」は、もう明日にも終わってしまうかもしれない。彼らの危うい青春が突き刺さった。

 『キセキ』を聴きながら歩いていると、少し涙が滲んだ。当時の自分は30歳だったが、青春期から胸の奥でひっそりと守ってきた大事なものが、彼らの歌に共鳴した。あの頃の不安、いらだち、一縷の望みが、そこにはあった。あの頃の風景が鮮やかに蘇った。

 今でも町の喧騒を眺めていると、ふと彼らの歌を口ずさんでいる自分に気づく。青春とはかくも終わりのないものなのか。

 セツナブルースターは同じ高校に通う倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)が、1年生の時に結成したバンドを前身としている。1998年のことだ。19歳になった2001年4月にはファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』、12月にはセカンドアルバム『「二十歳」より』をインディーズレーベルからリリース。2002年6月のメジャーデビューシングル「少年季」を挟み、12月にこの『キセキ』をリリースした。

 激情とセンチメンタルが暴れる歌とバンドサウンドが持ち味だった彼らは、ハイピッチでライブとレコーディングを重ねながら成長を遂げた。言葉、メロディ、フレーズ、アンサンブルの一つひとつが研ぎ澄まされ、丁寧に丁寧に、青春のただなかで誰もが抱えている身悶える思いと、そこにある風景を歌に紡いだ。

 『キセキ』は15年前に産み落とされた青春の名盤だ。しかし、そこにあるのは明るい青春ではない。あるのは、ゆらゆらと揺れる青白い炎を光源に、出口の見えない荒野を歩くような痛々しい青春といってもいい。ただ、明るくあろうとも、暗くあろうとも、心にある青春の思い、アンバランスさはみんな同じだろう。いつの時代も。

 先に「もろい」「危うい」とも書いたが、彼らの歌には凛とした強さがある。大人になるに連れイノセンスを失っていくことへの恐れととまどいを隠さず、失うことを拒否する決意とも言える強さがある。あきらめに負けまいとする祈りがある。それらが彼らの歌に美しさとはかなさをもたらしているのだ。

僕は泣きそうなくらいな思い出に造られながら信じていた今に教えられる
僕は今病気だってさ 僕の過去を否定したそれは自分自身であり僕と青春を共に歩む(「四度目の青春」)

大人になった僕の変わらない歌を歌う奴等が笑われぬ様に……(「かけら」)


涙を一粒だけ我慢する。それだけの事 それだけの事
それができたらみんなの為に「声」を枯らして歌うたうんだ(「心臓」)


 この10曲で聴ける言葉は痛切な希望であり、夢。心をかき乱す言葉の数々は、大人との、社会との軋轢のなかで若者を勇気づける。

 『キセキ』がリリースされた頃、彼らのライブを何度か見たことがある。激しくスリリングな演奏を聴かせていた。繊細な響きを奏でていた。研ぎまくったソリッドな演奏ぶりからは、ヒリヒリとしたムードが漂っていた。ギターソロでは、倉島が背筋を伸ばし、ギターを小銃のように構えてかき鳴らしていた。まるで少年兵のようだった。

 あの頃は彼ら自身も青春期の只中。周囲の大人たちにもまれながら「このバンドで売れる!」という夢に挑んでいた。

 彼らの歌に現れているのは、彼であり、彼女であり、私であり、あなた。かつての若者であり、今の若者だ。いつの時代にもあるまっとうな青春像が鮮やかに描かれている。

 『キセキ』はあまり売れなかった。だから、ひっそりと産み落とされた名盤かもしれない。でも、何度でも、いつでも、繰り返し聴かれることだろう。この世界から、みんなの人生から、青春が消え去ることはないのだから。

 時を超えて『キセキ』は共鳴する。今、青春に笑い、泣く人たちに、この大事な作品が届きますように。
文=山本貴政

  • 『キセキ』
    2002.12.11 Release
    East West AMCM-10035 ¥2,571(tax in)

    01. なないろ
    02. 死んで行く僕らの目に
    03. 少年季
    04. みんなの歌
    05. 四度目の青春
    06. かけら
    07. 車窓から
    08. エレジー
    09. 菫に似ている
    10. 心臓 iTunes

倉島大輔 インタビュー

青春の名盤『キセキ』から15年。
倉島大輔が「『キセキ』全曲演奏ライブ&モア」のステージに立つ

倉島大輔 インタビュー

 2002年12月、『キセキ』という青春の名盤がひっそりとリリースされた。セツナブルースターというロマンチシズムに溢れた名前のスリーピースバンドが生み出したアルバムだ。

 当時、彼らは二十歳。『キセキ』では子どもと大人の境目にある若者の痛々しくも美しい青春像が描かれていた。失われゆくイノセンスへのとまどい、大人になることへの憧憬、世間の大勢からドロップアウトした孤独感、儚い夢、希望、苛立ち、焦り……。そんな青春のかけらがあたり一面に突き刺さっていた。

 また、彼らの歌からは世間の大人に抗う痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識はとても危ういバランスの上に成り立っていた……。

 セツナブルースターは同級生の倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)によって結成された。19歳になった2001年にファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』をリリース。その1年半後に3枚目のアルバムとなる『キセキ』をリリースした。彼らは鮮烈な印象を残して、2008年に活動休止。以来、ソングライティングを手掛ける倉島は弾き語りによるソロ活動を続けている。

 12月3日。赤坂BLITZで開催されるイベント『DECEMBER'S CHILDREN』の昼の部の公演として、『キセキ』のリリース15周年を記念した「『キセキ』全曲演奏ライブ&モア」が行われることになった。この公演では倉島大輔の弾き語りに加えて、オリジナルメンバーが加わり数曲演奏されるという。

 倉島が三軒茶屋Come Togetherで弾き語りライブを行った11月12日、リハーサル前に『キセキ』とは何だったのか、そして今回の公演への思いを聞いた。

◎若者の「難しい気持ち」が結実した『キセキ』

──永遠の青春映画、小説と呼びたい名作のように、『キセキ』も青春の名盤です。当時はどういう気持で『キセキ』を作ったんですか。

倉島 『キセキ』に入っている曲は、ほぼ10代の終わりに書いた曲です。あの頃の人生観や、若者独特の「難しい気持ち」が集約されています。当時は、早く大人になりたいと思う中で、「自分は何者なんだ」と日々、考えていました。これはこれで正統というか、「あるべき青春の姿」だったと思います。

──『キセキ』を聴くと「まっとうな青春」の断片が詰まっていると感じます。そこには世間とのずれに身悶えるようなヒリヒリ感があります。

倉島 そうですね。何かにつっかかっていきたい気持ちだったし、周囲への疑問もあったので、それは歌に込めました。

──倉島さんの孤独感も聴こえてきます。

倉島 本当に孤独でしたね。自分だけの秘密……、自分の中だけにとどめておくべき秘密があって。でも、それは誰にも言わない。だから、それとつきあっていくのか。言ってみれば、もうひとりの自分といつもにらめっこしていて、その壁の内側で歌を書いていたんです。そんな思いから生まれた歌が誰かに届くことで、僕がむくわれるんじゃないかっていう気持ちもありました。

──共感してほしかった? 似たもどかしさを抱えた同世代も多いはずですが。

倉島 いや、共感してほしいとは思っていませんでした。とにかく悶々とした自分の中から出てくるものを、ぐちゃぐちゃに敷き詰めるような歌の書き方をしていて。だから、シンパシーを得ることは、あえて避けていました。

──言い換えれば孤高な歌。ベタベタはしない。通じ合えそうな同世代ともアイコンタクトくらいの挨拶を交わして、お互いの場所にいるっていう。

 うん。よくないことかもしれないけど、外に向けた音楽ではなく、自分の中にあるものを突きつけていく「対自分」の音楽でした。

◎僕が歌にしたのはセンチメンタルでグレーな青春

──直球の質問ですが、倉島さんにとって青春とは?

倉島 僕が思う一般的な青春像って甲子園とか、そういう明るくて、仲間がいて、というイメージ(笑)。でも、僕が歌にした青春はグレーな青春で、センチメンタルなものです。

──大勢からドロップアウトした「ひとりの青春」。でも、それはたくさんの「ひとり」が歩んできた青春だと思います。「夢に向かってともに頑張ろう!」というものではないですが、そんな青春はいつの時代にも、どんな場所にも存在するまっとうな在り方。青春の肝は孤独感でもありあますし。

倉島 そうですね。生き方としては少し外れたところを歩いてきました。今、30代半ばになりましたが、僕がイメージする30代半ばは結婚して、子供ができて、生活のために仕事をして、その中でストレスを抱えることもあって……。でも、僕はいまだにそういうものとは違うところで生きています。人間って、あまり変わらないものですね(笑)。

──その感じはこれからもずっと続いていきそうですね(笑)。

倉島 そう思います。端っこを歩くのが好きなんでしょうね。

◎芽生えた「こうこうことってあるよね」という目線

──セツナブルースターは2008年のライブを最後に活動を休止しました。ぽっかりと穴が開いたような気持ちにはなりませんでしたか?

 活動休止すること自体は、「セツナってバンドがあったよね」とわりと客観的に見られていました。すぐに弾き語りで活動することも決めていたので。ただ、生活の大部分を失ったような寂しさはありましたね。

──メンバーの島田さん、宮下さんとは連絡を取り合っていましたか?

倉島 休止して3年くらいはほとんど会っていませんでした。でも、島田が東京を離れると、寂しくなって連絡をしてみたり(笑)。

──倉島さんも今は故郷の長野に戻っているんですよね。

倉島 はい。家業を継ぐことになって。しっかり生活しながら音楽活動を続けるためにバランスを整えようと。だからアルバイトをやめることにしたんです。ソロになった頃は年に15本の弾き語りをやったりしていましたが、今は年に3、4本。じっくりと歌に取り組みたかったんです。昔は「生活なんてくそくらえっ!」って思っていましたけど。

──大人になるっていうこと……。だからこそ書ける今の歌があります。生活が変わったことで、歌も変わってきましたか?

倉島 それが不思議と変わっていなくて。でも、昔は「対自分」の歌だったけど、今は、あえて含ませていなかった周りの人への「こういうことってあるよね」という気持ちが歌に入っていて、それが何かしらのメッセージになっていると思います。

──それは他者への「優しい目線」ですね。

倉島 そうですね。小さい変化ではありますが。

◎青春は時を越えて……。自分たちとファンにとって念願のライブ

──12月3日は赤坂BLITZで初の弾き語りワンマン。『キセキ』の全曲とソロの楽曲を歌い、セツナブルースターでの演奏も復活します。どういった経緯で今回のライブを行うことになったんですか?

倉島 以前、僕らが所属していた音楽事務所の代表の方が「12月のイベントに弾き語りで出演して、『キセキ』のすべての収録曲を演奏してほしい。オリジナルメンバーでも何曲か演奏してみてはどう?」と声をかけくれたんです。オリジナルメンバーで公式に演奏するということは僕にとってかなりの一大事で、活動休止という過去の重い決断があった事実を省みると、やはりそう簡単には踏み切れないという想いもありました。でも、今回はお世話になった音楽事務所の代表の方からの提案ということもあって「セツナブルースター」としてステージに立つことを決めました。決まったからには皆で、「じゃあ、やるか!」と盛り上りました。その代表の方はわざわざメンバーの一人ひとりに会いに来て、話をしてくれて嬉しかったですね。

──久しぶりにメンバーとリハスタに入ってみてどうでしたか?

倉島 昔、さんざん演奏してきた曲なので、皆、身体が覚えていました(笑)。

──どんなライブにしたいですか?

倉島 今10代後半から20代前半の若い世代のファンの方も多くいらっしゃるみたいなんですけど、僕らが『キセキ』をリアルタイムで歌っていた頃、その方たちはまだ小学生くらいだったはずなんですよ。その方たちが大人に成長してゆく過程の中で「セツナブルースター」と出会って赤坂BLITZに来てくれる。そんなふうに世代を越えて見に来てくれる人もいるんだなあって。そういう人の前で演奏できるのは嬉しいですね。それに僕にとっては初のワンマンだし、昔からのファンにとっては念願のライブ。そんな気持ちをしっかり受け止めて演奏したいです。

──最後に聞かせてください。今の若者は『キセキ』を聴いて何を感じるんでしょうね。

倉島 15年経って、時代も変わりましたよね。でも、ゆとりとかさとりとかよく耳にするけど、皆、心根にある本質的なものは昔も今も変わらないと思ってます。そんな彼らにあらためて『キセキ』の歌の世界がどう伝わったのかを逆に聞いてみたいです。

──『キセキ』の歌に登場する主人公は倉島さん自身。世代や時代が変わっても世の中の大勢から外れてしまう「難しい気持ち」に悶々としている若者は、いつもいます。彼らは夢や失望や苛立ちや焦りにこんがらがって、ひとりで耐えて、踏みとどまっています。そういう精神に対して、『キセキ』はどんな時代でも響く強さがあります。彼らは『キセキ』を自分の物語のように感じるんじゃないですか。だから、青春の名盤と密かに言われているわけですし。

倉島 そう言ってもらえてよかったです。『キセキ』は本当に僕の誇りだと思っているので。だから、ライブでは最大限の演奏を全力でして、ファンにも最大限に満足して帰ってほしいです。

 三軒茶屋駅からほど近い茶沢通り沿いの雑居ビルの地下。三軒茶屋Come Togetherのステージに倉島大輔がアコースティックギターを抱えて登場。熱心なファンを前に歌い始めた。

 この日、演奏されたのはアンコールを含めて10曲。ほとんどがソロ活動を開始してから作られた歌だった。鮮烈な青春期を過ぎ、30代半ばになった倉島は「あの頃と生き方は変わっていない」という通り、世の中から大勢から否応なしに外れてしまう心情を、少し大人になった自分の物語として描いていた。変わらぬセンチメンタリズムとロマンチシズムをもって。

 求めるものがいつも手からこぼれ落ちてしまう。でも、悲しむこともない。そんな日々にも喜びがある。ならば、ままならぬ自分と向き合いながら、毎日をひとり歩んでゆけばいい。横を見れば、同じ思いを抱えている者がいる。倉島の歌を聴きながら、そんなことを思った。

 アンコールで歌われたのはセツナブルースター時代の「少年季」。この「季」という言葉は、倉島にとてもよく似合う。春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がくるように、人生も「季」と呼びたくなる何かが一本の道の上で繰り返される。変わらぬ自分でいる限り。

 12月3日。『キセキ』はどんな表情を見せるのだろう。少し大人になった風の彼らの姿を楽しみにしたい。

取材・文=山本貴政
写真=酒井麻衣

セツナブルースター

倉島大輔(ヴォーカル、ギター)島田賢司(ベース、ヴォーカル)宮下裕報(ドラムス、ヴォーカル) 1998年10月長野にて、前身となる“上海PIZZA”を結成。地元を中心に活動しながら、 01年4月18日にファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』(DCCM−2)をMULE RECORDSよりリリース。同年7月にはFUJI ROCK FESTIVAL01に出演。10代の心象風景を、激しさとせつなさとともに描く楽曲とライブで話題を呼ぶ。たたみかけるように同年12月19日にセカンドアルバム『「二十歳」より』(DCCM−5)をリリース。02年には全国規模でのライブ活動を行うようになり、6月12日にメジャーよりのファーストシングル『少年季』(AMCM−10019)をリリース。同年の12月11日には同じくメジャーよりバンドとしてのサードアルバム『キセキ』(AMCM− 10035)をリリース。その後、活動の場をバンドのレーベル等へと移行させつつ精力的に活動しながらも、2008年2月23日吉祥寺プラネットKのライブを持って活動休止に入る。

  • 1st Album
    『エヅラ・ガラ・セツナ』
    2001.4.18 Release
    Mule Records
    DCCM-2 ¥1,890(tax in)

    メンバーが10代の時に制作した
    セツナブルースターのファーストアルバム。
    演奏、サウンドプロダクションは荒削りながら、
    単なる10代の心象風景の記録にとどまらない作品。

    1.帰り道
    2.夢
    3.ソリッド
    4.シャバ・ダ
    5.CHICKEN
    6.少年A
    7.あすなろ iTunes
  • 2nd Album
    『「二十歳」より』
    2001.12.19 Release
    Mule Records
    DCCM-5 ¥2,000(tax in)

    ファーストアルバムからわずか8か月後に
    リリースされたセカンドアルバム。
    収録楽曲の歌詞、演奏、アレンジにも幅が出て、
    激情感だけではない深みが出たドラマチックな作品。

    1.六月の朝
    2.悲しみのバラード
    3.ヒマワリ
    4.雨音
    5.靨のない男
    6.散歩
    7.紫色のマフラー
    8.十二秒 iTunes
  • 2nd Album
    『うたかたは今』
    2002.2.20 Release
    Mule Records
    DCCM-1004 ¥1,000(tax in)

    ライブ会場限定発売で2004年に
    リリースされた2曲入りシングル。
    「キセキ」に続く作品として、
    青春期の痛みを昇華した2曲が胸を締めつける作品。

    1.涙の成分について
    2.うたかたは今 iTunes

DECEMBER'S CHILDREN<昼の部>
倉島大輔
セツナブルースター「キセキ」リリース15周年記念
「キセキ」全曲演奏ライブ&モア

  • 12月3日(日) Open 12:00 / Start 12:30
    会場:赤坂BLITZ
    出演:倉島大輔
    スペシャルゲスト:島田賢司、宮下裕報


    チケット:

    1F自由席 ¥3,240 (税込・整理番号付・ドリンク代別)
    アンダー18チケット(1F自由席) ¥2,000- (税込・整理番号付・ドリンク代別)

    チケット発売日2017年11月4日(土) 10:00

    【イープラス最終先行(先着順)】
    受付期間:10月24日(火)18:00~10月31日(火)18:00
    受付URL:http://eplus.jp/kiseki15th/

    INFORMATION: SOGO TOKYO 03-3405-9999

    イベントHP
    http://www.decemberschildren.jp/
  • この度「キセキ」発売15周年という事で今回の企画が持ち上がり、こうして改めて振り返ってみると15年という月日はとても長く、昨今めまぐるしく移り変わってゆく現代社会において、「キセキ」と共に歩み続けてくれるファンの方々がおられる事が本当にありがたく、感謝しかありません。まずは心より御礼申し上げたいと思います。

    今回は弾き語りを中心にバンド形態も含め「キセキ」を全曲演奏します。バンド「セツナブルースター」としての演奏を実際に観た事がない方も少なくないと思いますので、どんな反応になるのか今からとても楽しみにしています。早速メンバーとリハーサルをしてみましたが、演奏が始まると同時にあの頃の「想い」が蘇る様な、なんとも形容し難い感覚にとらわれました。きっとこれが今のセツナブルースター。当日会場で届けたいと思います。

    ソロになってからはミニマムな活動がメインとなりましたが、それでも応援を続けてくれた皆様や足繁く会場に通ってくれた皆様に少しだけ恩返しが出来そうです。いつもより少し広い会場でゆっくりとお楽しみ下さい。

    倉島大輔

DECEMBER'S CHILDREN
倉島大輔 セツナブルースター『キセキ』リリース15周年記念
『キセキ』全曲演奏ライブ&モア
ライブレポート(2017年12月3日 赤坂BLITZ)

倉島大輔、セツナブルースターが青春の名盤『キセキ』を再現
自分たちのスピードで歩んできたみんなが再会した約束の場所

 2002年12月。『キセキ』というアルバムがひっそりとリリースされた。青春の光と影が強烈な美意識で放たれた『キセキ』は青春の名盤と一部で強くに支持される。怒り、苛立ち、もどかしさ、祈り、夢……。「少年季」にあるイノセンスの消失と、「大人になるってこと」への憧れととまどいの狭間で鳴っていた歌は、危うくてもろいバランスで成り立っていた。そこには、世間の大勢から外れながらも、心に灯った蒼白い炎を道灯りに、青春の荒野を歩むまっすぐな目線があった。

 『キセキ』を生み出したのはセツナブルースターというロマンチックな名前を持つスリーピースバンド。彼らは高校の同級生で、当時二十歳だった。彼らは「大人になるってこと」の渦中、2008年に活動休止を選ぶ。しかし、彼らの歌は、『キセキ』は、確かに聴き継がれてきた。

 あれから15年。2017年12月3日、イベント『DECEMBER'S CHILDREN』で「倉島大輔 セツナブルースター『キセキ』リリース15周年記念 『キセキ』全曲演奏ライブ&モア」が開催されることとなった。詞曲を手がる倉島大輔(Vo.,G.)の弾き語りと、オリジナルメンバーの島田 賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)が加わったバンドセットで『キセキ』がよみがえる。

◎今日、こんなに集まってくれたことが僕の自慢

 会場には当時からのファンに混じって、若い世代の姿も見える。『キセキ』に込められた青春の発露を引き継いだファンなのだろう。拍手に迎えられて倉島大輔が登場。アコースティックギターを手に「四度目の青春」のイントロを弾き始める。歓声とも、ため息ともつかない声が会場から漏れる。

 うるさい大人たちとの関係をうまくやり過ごせる“周囲が見えすぎる”若者。彼は大人になるにつれ、どうも折り合いをつけられなくなっていく。僕は今、病気だってさ……。「四度目の青春」には、そんな主人公が登場する。彼は今に潰れそうになりながらも、思い出がつくる今を生き、歌を歌う。少しだけ自分を小さくして。そして、その彼の歌を口ずさんでいたのは少年野球時代の相棒だった……。

 過ぎ去った過去(思い出)への憧憬と感傷、身の置き場のない今。「それでも……」という頑なな決意。この痛々しくもセンチメンタルな青春像はセツナブルースターの象徴だと思う。「四度目の青春」とあるが、今、セツナブルースターの3人は何度目の青春を生きているのだろう。

 「大人になった僕の変わらない歌を歌う奴等が笑われぬ様に……」と見えない仲間へ語りかけるような「かけら」。「腑に落ちないんだよ」というフレーズが耳を刺す2004年の会場限定シングル「涙の成分について」が続く。倉島のソロナンバー「トワイライト」では、大人になった主人公が少しだけ肩の荷を下ろし「きっと光の差す方向に歩いている」と言う。大人になり、あの頃の未来に立つ「僕ら」への憐憫を、優しい目線で綴る「勿忘草」。もともと時のうつろいに敏感な心情を描く倉島だが、この日はその情感がより胸に迫ってくる。

 「死んで行く僕らの目に」。ソロ曲の「夕凪のうた」「菫に似ている」とステージは進み、倉島が笑顔でファンに語りかける。

「高校時代にバンドを結成して、上京してデビュー。周りを見て、自分たちはうまくいっていない気がして怖くなったこともありました。自分には自慢できることは何もない。そう思うこともありました。でも今日、こんなにたくさんの人が集まってくれて。これが僕の自慢です」

 フロアにいる大人になったかつての少年少女たちの表情が緩む。ヒリヒリとしたオーラをまとっていたかつてのセツナブルースター。みんな肩の荷をちょっとだけ下ろして、この日の再会を待っていたのだろう。

 「僕の音楽の始まりの歌。高校時代に作って3人で演奏して、みんながほめてくれた歌です」。そういって歌われたのは「ショットガン」。性急なビートに乗って、ショットガン、マシンガン、手榴弾……と武器の名が連呼される。まるで心を武装するかのような歌だった。セツナブルースターはソリッドに研ぎ澄ました攻撃性も持ち味だが、その原点が「ショットガン」だったのか。

 拍手のなか、静かに「心臓」が歌い出される。『キセキ』の最後に収録された名曲だ。『キセキ』で描かれる、今に押しつぶされそう主人公はこの歌で「勇気を出して一つだけ挑戦してみよう」とつぶやく。そして最後に「涙を一粒だけ我慢する。それだけの事。それができたらみんなの為に『声』を枯らして歌うたうんだ」と叫ぶ。この日、倉島はサビのフレーズの切れ目で「それだけの事」と小さく、はっきりと言った。

◎未来への道のりの途中、「かつての少年少女」たちは出会う

 「心臓」のエンディングを、息を呑んで見守るファンたち。と、ここで島田と宮下が登場。予期せぬ現れ方に歓声が上がる。2人は楽器を取り、位置につく。これまで椅子に座っていた倉島が立ち上がる。セツナブルースターが解散休止後、初めてステージに立つ。逆光を浴び、3人が「心臓」のエンディングを壮大に激しく演じる。15年前、「心臓」を最後に持ってきた彼らのライブを見たことがあったが、あの頃の景色が現れた。

 フロアのざわめきを加速させるように、蒼白いライトに照らされて「なないろ」が始まる。『キセキ』のオープニングを飾るナンバーだ。静と動が細やかに織り重なるこの歌には、ストイックで誇り高い心意気が詰まっている。うねるようなビートの波が押し寄せるエンディング、倉島は「僕は誰にも負けないから 君の声よ美しくあれ」と叫ぶ。

 ブランクを感じさせない、あうんの呼吸で次々と演奏が繰り出される。「みんなの歌」から「車窓から」、「エレジー」へ。このライブの前に行ったインタビューで倉島は「久しぶりにリハスタに入ってみると、皆、体が覚えていた」と言ったが、その言葉通り、島田のぶっといベース音も宮下のパワフルでタイトなドラミングもあの頃のまま。倉島の切り裂くようなギターのカッティング音も然り。セツナブルースターのナイフは錆びついてはいなかった。

 フィナーレがやってくる。『キセキ』のリード曲「少年季」だ。このタイトルにある「季」という言葉がいい。セツナブルースターの3人も、ファンも、いくつもの季節を越えてここまで歩んできた。

 「嘘はつかないでおこう それで僕を歩こう 今日のスピードで」。子どもの頃にプレゼントされた自転車をモチーフにした「少年季」で倉島はこう歌う。刹那ではあるが、背筋がシャキッと伸びた青春の歌だ。食い入るようにステージを見上げるファンたち。再会を喜び、力を振り絞った演奏が終わった。

 アンコール。3人はリラックスしたムードでこのライブに至るまでの数カ月を振り返る。島田も宮下も楽しそうだ。やりきった充実感がステージからフロアへと伝わっていく。最後に「帰り道」と「君に宛てる手紙」を演奏して、3人はステージを去った。

 『キセキ』が生まれてから15年。ある青春のひとときをともに過ごした3人、胸いっぱいに『キセキ』を聴いていたファンたち。今、歩む道は違えども、あの頃と同じ未来を目指して、今も自分のスピードで歩いているのだろう。その道のりの途中には、違う道を歩む仲間の姿を目にすることもある。ときには、この日のように幸せな再会が訪れる日もある。それは約束事のようなものだ。そして、今もって大人になるってことはわからなくても、人生を歩んでいくことは少しだけわかってくる。そんな思いを抱かせてくれるステージだった。

 『キセキ』はたくさんの仲間に囲まれた明るく楽しい青春が描かれているわけではない。だけど、思春期の難しい思いにこんがらがった『キセキ』の歌に登場する主人公のような少年少女はいつの時代にもいる。この日、今の少年少女も『キセキ』を目撃しにやってきた。この奇跡のような青春のかけらがいつまでも聴き継がれますに。

取材・文=山本貴政
写真=河本悠貴

「キセキ」

SPECIAL LINER NOTES

 15年前の冬、ヘッドホンから小さな音で流れる『キセキ』を聴きながら歩いていた。若者がたくさん集う小さな町だった。駅の改札を抜けると、そこには、はちきれそうな夢となんにもうまくゆかないもどかしさを抱えた若者たちの喧騒があった。そこには、(もしかしたら若き日だけを共有することになる)仲間と笑い声を挙げる若者がいた。押しつぶされそうな顔をした若者がいた。スクッとした目線を前に向けた若者がいた。そこには、「ひとり」を抱えた若者ばかりがいた。

 『キセキ』はセツナブルースターという、なんとも胸をかきむしられるロマンチシズムにあふれた名前のスリーピースバンドが2002年12月に出したアルバムだ。当時、彼らは二十歳の若者だった。

 冬だったから余計にそう感じたのだろうか。肌を射る厳しい寒さと、透き通った冬の空気に、『キセキ』に収められた10曲の美しさはとてもしっくりときた(もちろん、春に聴いても、夏に聴いても、秋に聴いてもいいのだが)。

 彼らの歌からは、子どもと大人の境目にいる若者が、「少年季」にある大事なものが壊れないよう必死に守ろうとする痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識は今にも崩れそうなギリギリのバランスで成り立っていた。しかし、大事なものを守るために、大人たちの世界へのファイティングポーズが取られているのだが、振り上げた拳の行き場を見つけられない。そんなもろさがあった。

 つまらない大人になることを拒否する、と割り切れるほど単純ではないし、そもそも大人になること(成長するってこと)がわからない。自分の「少年季」は、もう明日にも終わってしまうかもしれない。彼らの危うい青春が突き刺さった。

 『キセキ』を聴きながら歩いていると、少し涙が滲んだ。当時の自分は30歳だったが、青春期から胸の奥でひっそりと守ってきた大事なものが、彼らの歌に共鳴した。あの頃の不安、いらだち、一縷の望みが、そこにはあった。あの頃の風景が鮮やかに蘇った。

 今でも町の喧騒を眺めていると、ふと彼らの歌を口ずさんでいる自分に気づく。青春とはかくも終わりのないものなのか。

 セツナブルースターは同じ高校に通う倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)が、1年生の時に結成したバンドを前身としている。1998年のことだ。19歳になった2001年4月にはファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』、12月にはセカンドアルバム『「二十歳」より』をインディーズレーベルからリリース。2002年6月のメジャーデビューシングル「少年季」を挟み、12月にこの『キセキ』をリリースした。

 激情とセンチメンタルが暴れる歌とバンドサウンドが持ち味だった彼らは、ハイピッチでライブとレコーディングを重ねながら成長を遂げた。言葉、メロディ、フレーズ、アンサンブルの一つひとつが研ぎ澄まされ、丁寧に丁寧に、青春のただなかで誰もが抱えている身悶える思いと、そこにある風景を歌に紡いだ。

 『キセキ』は15年前に産み落とされた青春の名盤だ。しかし、そこにあるのは明るい青春ではない。あるのは、ゆらゆらと揺れる青白い炎を光源に、出口の見えない荒野を歩くような痛々しい青春といってもいい。ただ、明るくあろうとも、暗くあろうとも、心にある青春の思い、アンバランスさはみんな同じだろう。いつの時代も。

 先に「もろい」「危うい」とも書いたが、彼らの歌には凛とした強さがある。大人になるに連れイノセンスを失っていくことへの恐れととまどいを隠さず、失うことを拒否する決意とも言える強さがある。あきらめに負けまいとする祈りがある。それらが彼らの歌に美しさとはかなさをもたらしているのだ。

僕は泣きそうなくらいな思い出に造られながら信じていた今に教えられる
僕は今病気だってさ 僕の過去を否定したそれは自分自身であり僕と青春を共に歩む(「四度目の青春」)

大人になった僕の変わらない歌を歌う奴等が笑われぬ様に……(「かけら」)


涙を一粒だけ我慢する。それだけの事 それだけの事
それができたらみんなの為に「声」を枯らして歌うたうんだ(「心臓」)


 この10曲で聴ける言葉は痛切な希望であり、夢。心をかき乱す言葉の数々は、大人との、社会との軋轢のなかで若者を勇気づける。

 『キセキ』がリリースされた頃、彼らのライブを何度か見たことがある。激しくスリリングな演奏を聴かせていた。繊細な響きを奏でていた。研ぎまくったソリッドな演奏ぶりからは、ヒリヒリとしたムードが漂っていた。ギターソロでは、倉島が背筋を伸ばし、ギターを小銃のように構えてかき鳴らしていた。まるで少年兵のようだった。

 あの頃は彼ら自身も青春期の只中。周囲の大人たちにもまれながら「このバンドで売れる!」という夢に挑んでいた。

 彼らの歌に現れているのは、彼であり、彼女であり、私であり、あなた。かつての若者であり、今の若者だ。いつの時代にもあるまっとうな青春像が鮮やかに描かれている。

 『キセキ』はあまり売れなかった。だから、ひっそりと産み落とされた名盤かもしれない。でも、何度でも、いつでも、繰り返し聴かれることだろう。この世界から、みんなの人生から、青春が消え去ることはないのだから。

 時を超えて『キセキ』は共鳴する。今、青春に笑い、泣く人たちに、この大事な作品が届きますように。

文=山本貴政

倉島大輔 インタビュー

 2002年12月、『キセキ』という青春の名盤がひっそりとリリースされた。セツナブルースターというロマンチシズムに溢れた名前のスリーピースバンドが生み出したアルバムだ。

 当時、彼らは二十歳。『キセキ』では子どもと大人の境目にある若者の痛々しくも美しい青春像が描かれていた。失われゆくイノセンスへのとまどい、大人になることへの憧憬、世間の大勢からドロップアウトした孤独感、儚い夢、希望、苛立ち、焦り……。そんな青春のかけらがあたり一面に突き刺さっていた。

 また、彼らの歌からは世間の大人に抗う痛烈な美意識が放たれていた。そして、その美意識はとても危ういバランスの上に成り立っていた……。

 セツナブルースターは同級生の倉島大輔(Vo, G.)、島田賢司(B.)、宮下裕報(Dr.)によって結成された。19歳になった2001年にファーストアルバム『エヅラ・ガラ・セツナ』をリリース。その1年半後に3枚目のアルバムとなる『キセキ』をリリースした。彼らは鮮烈な印象を残して、2008年に活動休止。以来、ソングライティングを手掛ける倉島は弾き語りによるソロ活動を続けている。

 12月3日。赤坂BLITZで開催されるイベント『DECEMBER'S CHILDREN』の昼の部の公演として、『キセキ』のリリース15周年を記念した「『キセキ』全曲演奏ライブ&モア」が行われることになった。この公演では倉島大輔の弾き語りに加えて、オリジナルメンバーが加わり数曲演奏されるという。

 倉島が三軒茶屋Come Togetherで弾き語りライブを行った11月12日、リハーサル前に『キセキ』とは何だったのか、そして今回の公演への思いを聞いた。

◎若者の「難しい気持ち」が結実した『キセキ』

──永遠の青春映画、小説と呼びたい名作のように、『キセキ』も青春の名盤です。当時はどういう気持で『キセキ』を作ったんですか。

倉島 『キセキ』に入っている曲は、ほぼ10代の終わりに書いた曲です。あの頃の人生観や、若者独特の「難しい気持ち」が集約されています。当時は、早く大人になりたいと思う中で、「自分は何者なんだ」と日々、考えていました。これはこれで正統というか、「あるべき青春の姿」だったと思います。

──『キセキ』を聴くと「まっとうな青春」の断片が詰まっていると感じます。そこには世間とのずれに身悶えるようなヒリヒリ感があります。

倉島 そうですね。何かにつっかかっていきたい気持ちだったし、周囲への疑問もあったので、それは歌に込めました。

──倉島さんの孤独感も聴こえてきます。

倉島 本当に孤独でしたね。自分だけの秘密……、自分の中だけにとどめておくべき秘密があって。でも、それは誰にも言わない。だから、それとつきあっていくのか。言ってみれば、もうひとりの自分といつもにらめっこしていて、その壁の内側で歌を書いていたんです。そんな思いから生まれた歌が誰かに届くことで、僕がむくわれるんじゃないかっていう気持ちもありました。

──共感してほしかった? 似たもどかしさを抱えた同世代も多いはずですが。

倉島 いや、共感してほしいとは思っていませんでした。とにかく悶々とした自分の中から出てくるものを、ぐちゃぐちゃに敷き詰めるような歌の書き方をしていて。だから、シンパシーを得ることは、あえて避けていました。

──言い換えれば孤高な歌。ベタベタはしない。通じ合えそうな同世代ともアイコンタクトくらいの挨拶を交わして、お互いの場所にいるっていう。

 うん。よくないことかもしれないけど、外に向けた音楽ではなく、自分の中にあるものを突きつけていく「対自分」の音楽でした。

◎僕が歌にしたのはセンチメンタルでグレーな青春

──直球の質問ですが、倉島さんにとって青春とは?

倉島 僕が思う一般的な青春像って甲子園とか、そういう明るくて、仲間がいて、というイメージ(笑)。でも、僕が歌にした青春はグレーな青春で、センチメンタルなものです。

──大勢からドロップアウトした「ひとりの青春」。でも、それはたくさんの「ひとり」が歩んできた青春だと思います。「夢に向かってともに頑張ろう!」というものではないですが、そんな青春はいつの時代にも、どんな場所にも存在するまっとうな在り方。青春の肝は孤独感でもありあますし。

倉島 そうですね。生き方としては少し外れたところを歩いてきました。今、30代半ばになりましたが、僕がイメージする30代半ばは結婚して、子供ができて、生活のために仕事をして、その中でストレスを抱えることもあって……。でも、僕はいまだにそういうものとは違うところで生きています。人間って、あまり変わらないものですね(笑)。

──その感じはこれからもずっと続いていきそうですね(笑)。

倉島 そう思います。端っこを歩くのが好きなんでしょうね。

◎芽生えた「こうこうことってあるよね」という目線

──セツナブルースターは2008年のライブを最後に活動を休止しました。ぽっかりと穴が開いたような気持ちにはなりませんでしたか?

 活動休止すること自体は、「セツナってバンドがあったよね」とわりと客観的に見られていました。すぐに弾き語りで活動することも決めていたので。ただ、生活の大部分を失ったような寂しさはありましたね。

──メンバーの島田さん、宮下さんとは連絡を取り合っていましたか?

倉島 休止して3年くらいはほとんど会っていませんでした。でも、島田が東京を離れると、寂しくなって連絡をしてみたり(笑)。

──倉島さんも今は故郷の長野に戻っているんですよね。

倉島 はい。家業を継ぐことになって。しっかり生活しながら音楽活動を続けるためにバランスを整えようと。だからアルバイトをやめることにしたんです。ソロになった頃は年に15本の弾き語りをやったりしていましたが、今は年に3、4本。じっくりと歌に取り組みたかったんです。昔は「生活なんてくそくらえっ!」って思っていましたけど。

──大人になるっていうこと……。だからこそ書ける今の歌があります。生活が変わったことで、歌も変わってきましたか?

倉島 それが不思議と変わっていなくて。でも、昔は「対自分」の歌だったけど、今は、あえて含ませていなかった周りの人への「こういうことってあるよね」という気持ちが歌に入っていて、それが何かしらのメッセージになっていると思います。

──それは他者への「優しい目線」ですね。

倉島 そうですね。小さい変化ではありますが。

◎青春は時を越えて……。自分たちとファンにとって念願のライブ

──12月3日は赤坂BLITZで初の弾き語りワンマン。『キセキ』の全曲とソロの楽曲を歌い、セツナブルースターでの演奏も復活します。どういった経緯で今回のライブを行うことになったんですか?

倉島 以前、僕らが所属していた音楽事務所の代表の方が「12月のイベントに弾き語りで出演して、『キセキ』のすべての収録曲を演奏してほしい。オリジナルメンバーでも何曲か演奏してみてはどう?」と声をかけくれたんです。オリジナルメンバーで公式に演奏するということは僕にとってかなりの一大事で、活動休止という過去の重い決断があった事実を省みると、やはりそう簡単には踏み切れないという想いもありました。でも、今回はお世話になった音楽事務所の代表の方からの提案ということもあって「セツナブルースター」としてステージに立つことを決めました。決まったからには皆で、「じゃあ、やるか!」と盛り上りました。その代表の方はわざわざメンバーの一人ひとりに会いに来て、話をしてくれて嬉しかったですね。

──久しぶりにメンバーとリハスタに入ってみてどうでしたか?

倉島 昔、さんざん演奏してきた曲なので、皆、身体が覚えていました(笑)。

──どんなライブにしたいですか?

倉島 今10代後半から20代前半の若い世代のファンの方も多くいらっしゃるみたいなんですけど、僕らが『キセキ』をリアルタイムで歌っていた頃、その方たちはまだ小学生くらいだったはずなんですよ。その方たちが大人に成長してゆく過程の中で「セツナブルースター」と出会って赤坂BLITZに来てくれる。そんなふうに世代を越えて見に来てくれる人もいるんだなあって。そういう人の前で演奏できるのは嬉しいですね。それに僕にとっては初のワンマンだし、昔からのファンにとっては念願のライブ。そんな気持ちをしっかり受け止めて演奏したいです。

──最後に聞かせてください。今の若者は『キセキ』を聴いて何を感じるんでしょうね。

倉島 15年経って、時代も変わりましたよね。でも、ゆとりとかさとりとかよく耳にするけど、皆、心根にある本質的なものは昔も今も変わらないと思ってます。そんな彼らにあらためて『キセキ』の歌の世界がどう伝わったのかを逆に聞いてみたいです。

──『キセキ』の歌に登場する主人公は倉島さん自身。世代や時代が変わっても世の中の大勢から外れてしまう「難しい気持ち」に悶々としている若者は、いつもいます。彼らは夢や失望や苛立ちや焦りにこんがらがって、ひとりで耐えて、踏みとどまっています。そういう精神に対して、『キセキ』はどんな時代でも響く強さがあります。彼らは『キセキ』を自分の物語のように感じるんじゃないですか。だから、青春の名盤と密かに言われているわけですし。

倉島 そう言ってもらえてよかったです。『キセキ』は本当に僕の誇りだと思っているので。だから、ライブでは最大限の演奏を全力でして、ファンにも最大限に満足して帰ってほしいです。

 三軒茶屋駅からほど近い茶沢通り沿いの雑居ビルの地下。三軒茶屋Come Togetherのステージに倉島大輔がアコースティックギターを抱えて登場。熱心なファンを前に歌い始めた。

 この日、演奏されたのはアンコールを含めて10曲。ほとんどがソロ活動を開始してから作られた歌だった。鮮烈な青春期を過ぎ、30代半ばになった倉島は「あの頃と生き方は変わっていない」という通り、世の中から大勢から否応なしに外れてしまう心情を、少し大人になった自分の物語として描いていた。変わらぬセンチメンタリズムとロマンチシズムをもって。

 求めるものがいつも手からこぼれ落ちてしまう。でも、悲しむこともない。そんな日々にも喜びがある。ならば、ままならぬ自分と向き合いながら、毎日をひとり歩んでゆけばいい。横を見れば、同じ思いを抱えている者がいる。倉島の歌を聴きながら、そんなことを思った。

 アンコールで歌われたのはセツナブルースター時代の「少年季」。この「季」という言葉は、倉島にとてもよく似合う。春がきて、夏がきて、秋がきて、冬がくるように、人生も「季」と呼びたくなる何かが一本の道の上で繰り返される。変わらぬ自分でいる限り。

 12月3日。『キセキ』はどんな表情を見せるのだろう。少し大人になった風の彼らの姿を楽しみにしたい。

取材・文=山本貴政
写真=酒井麻衣



001

「音楽と人」2002年1月号
インタビュー



――バンドの結成は、高校のとき?
倉島大輔(ヴォーカル&ギター)「高1の時、文化祭に出るためにバンドをやろうって話になって、僕と宮下で作ったのが最初。そのうちベースが抜けちゃって、仲が良かった賢司にやらせようと思って」
宮下裕報(ドラム)「で、次の日に質屋で5000円のベースを買わせた」
島田賢司(ベース)「2万円だよ!」

――(笑)。わりとフツーの高校生ですね。最初から「音楽しかないんだ」みたいな、強い意志があったわけじゃないんだ?
倉島「全然、違いますね。音楽で食っていこうってことも、まったく考えてないし。まあ、趣味ですね。とりあえずバンドをやってることが、その時の自分たちのなかではすごいカッコいいことだったから。フツーの高校生ですよ。バイトしたり遊んだり……」

――あ、そうなんだ。セツナの歌を聴いてると、<周囲になじめない、鬱屈した青春>ってイメージをどうしても持ってしまうんだけど。
宮下「いや、すごく楽しんでた(笑)」
島田「バンドをやってたのはこの3人なんですけど、7~8人の仲のいいグループがあって、みんなで遊んでましたね。バイクでどっか行ったり……」
倉島「海とかね」
島田「冬になりゃあ、ボードやったり」
宮下「相当、遊んでたね。勉強はまったくしなかったけど」

――バンドも遊びのひとつだった?
倉島「そうですね。いろいろ遊んでるなかで――悪い遊びもかなりしたけど(笑)。そのなかで、バンドが一番、俺の中では憧れだったっていうか。一番ドキドキするものだったから、ずっとやってるんだと思うけど。ライヴもすごい楽しかったし。で、そのうちのめり込んで。最初はコピーばかりだったけど、すぐに物足りなくなって、オリジナルをはじめて」

――そのころの曲って、どんな感じ?
島田「今とはまったく違った感じの曲調だったと思います。もっとパンクっぽいっていうか、ノリ重視な感じだった」

――「楽しけりゃいいんだよ」って?
倉島「そう。自分の歌の世界の中にのめりこんでどうこうっていう音楽の楽しみ方でなくて、スタジオに入って、適当にコードだけつないで、みんなでガチャガチャやって、『はい、1曲できました。イエーイ!』って感じ。あとはライヴで思いきりがなって、盛り上がって終わり」

――いまのセツナブルースターの世界観とは180度違いますね、それ。
倉島「そうですね。歌詞もぜんぜん違うし。絶対に公開できないけど(笑)」

――自分の内面的なことを唄うようになったのは、いつくらいなんですか?
倉島「……いちばん最初のデモテープを録るきっかけになった曲があって。それまではガンガンいける曲ばっかりやってたんだけど、突然、ちょっとバラードっぽい曲がポツッと出来たんですよ。最初は、そういう曲ってこっぱずかしかったんだけど、バンドに持っていって演奏したら、すごい気持ち良いことがわかって。そこからですね、『あ、俺はこんな歌も書けるんだ』って。それが高3の夏くらいだったかな」

――その曲を聴いて、宮下さんと島田さんは、どうでした?「倉島、何かあった?」みたいなことを思ったりしました?
宮下「<いい曲だな>とは思ったけど、別にそんなことは考えなかったかな」
倉島「そういう話は一切しないからね」
宮下「バカ話ばっかり」
倉島「バンドのことで真剣にミーティングとか、めちゃくちゃ嫌いなんで」

――バンドの方向性というか、「次は、こういう曲をやってみようよ」って話は?
宮下「それもしない(笑)」
倉島「僕は考えますけどね、やっぱり曲を書いている立場だから。次はこういうのをやってみようよって思って、(曲を)書いたりはする。たぶん、そこで僕が思ってることと、メンバーが考えてることが、食い違ったことがない……って、僕は思ってるんだけど」

――宮下さんと島田さんは、どうですか?
宮下「うーん、やっぱり、大輔の作る歌が好きなんで。ドラムにしても、歌に合ったドラムと自分のやりたいことを混ぜる感じでやってるし」
島田「だから、各々がちゃんと考えてるんじゃないですか?」
宮下「そう、いちいち言う必要がない」
島田「何も言わなくても、次の日にスタジオに入ったら、未完成だった曲がちゃんと完成に近づいてますから。そういうスタイルでずっとやってきたし、(音楽の)話をしないのがいいのか悪いのかはわかんないですけど、曲も問題なく出来てるので、それはそれでいいかなと」
倉島「そのやり方で成長できてると思うし、ライヴも楽しんでやれてるので。だから、話さなくちゃいけない理由もないんですよ」

――なるほど。言葉に出して話さなくても、倉島さんの曲を共有できてるんでしょうね、きっと。
倉島「うーん、ここまで長くやってるバンドは初めてだから、何とも言えないですけど……だけど、このバンド以外でやるっていうのは、考えられない。なんでそう思うか、よくわかんないですけど。たぶん、仲が良いからじゃないですか(笑)」

――(笑)。いまでも3人で遊んでる感じだったりするの?
倉島「いや、それがおかしいんですけど、ぜんぜん遊んでないんです。基本的に人見知りなんで、友達もいないし」
島田「高校の時みたいな感じではないですね、何でだろう……」
倉島「オレらって出身が長野なんですけど。自然が多いんですよ、長野って。だから、自然な遊びをしてたんですよね、アウトドア系の。スノーボードだったりスキーだったり、山に登ったり。そういうのが、東京にはないから……」

――3人で閉じこもっちゃうんだ(笑)。そういう状況だと、<音楽しかない!>みたいにならない?
倉島「まあ、どっかの境目から……音楽に対する考え方とかも変わってきてるとは思いますけどね、3人それぞれ。今は、人生のなかで一番、大事なものですから、音楽は。生きるために必要というか、これしかやることがないから。音楽を取り上げられたら、困るでしょうね、きっと」

文 / 森 朋之



002

「四度目の青春」
「なないろ」
直筆歌詞



003

「少年季」リリース時
アーティスト写真アウトテイク


004

アーティスト写真


005

「PLUPPER」2002年 vol.33
インタビュー

――アルバムの制作はいつ頃から始めたんですか?
倉島(Vo&G)「曲作りに入ったのは7月の終わりぐらい。レコーディングは8月末から10月半ば。レコーディングに入った時点でまだ出来てない曲もあったんで、レコーディングしながら曲書いてっていう感じ」

――アレンジを結構いろいろ錬ってるなぁって感じました。
倉島「今回のアルバムは、僕らにとってみたら珍しい作り方をしたんですね。今までは、たくさん曲があって、ライヴでもやってて、曲をライヴで成長させてからレコーディングに入るっていう形だったんですよ。今回、作った曲をほとんどライヴでやってないんです。スタジオでアレンジを考えてっていう感じで作っていったんで、今までと違ったアレンジになったかもしれないですね」

――そういう状態でのレコーディングはどうでした?
島田(B)「長いことスタジオ入ったレコーディング初めてだったんですよ。煮詰まったりはありましたけど、いろいろ考えたりとかして、今思うと楽しかったですよ、すごい」
宮下(Dr)「うん、終わってみれば楽しかったです」
倉島「でもやっぱり大変でしたけどね(笑)」

――8曲目「エレジー」なんか聴かせてもらうと、ラストのあたりなんかは、全員が自由に演奏している感じがしました。すごくライヴ感のある演奏だったなって。
倉島「アルバム通して、ライヴ感を失いたくなかったんですよね。だからレコーディングの途中でもアドリブとかありましたよ。『エレジー』は、最後のほうになるとアドリブだらけで(笑)。この曲に関しては、アレンジを煮詰めてなくて、その場の勢いだけで、メンバーの意識が高まってるっていうか、いい感じで燃えてる時にぱっと録った曲で。だから一番最後のほうに録りましたね」

――サビが頭にきていて、ヴォーカルとギターだけでしたよね。それがあんなにライヴ感のあるエンディングになると思わなかったです。
倉島「サビから入る曲を作ってみたかったんで、やってみただけなんですけど。だからどうやろうかっていうのは悩まなくて、自然にああいう終わり方になったっていう感じでしたね。レコーディングのブースの中にあるものをぶっ壊しそうな勢いで(笑)最後はめちゃめちゃになって」

――(笑)。『エレジー』から『菫に似ている』の流れもそうなんですけど、スピードやその曲のテイストが違うのに、意外に思えるぐらいにすんなり聴けたんですよね。
倉島「曲順は、考えたといえば考えたんですけど、僕の中ではショートフィルム、映画の短編集みたいな感じで。だから短編、短編で楽しんでもらえるんじゃないかなって思ってたんで、あまり悩まなかったんですけど。『なないろ』は、シングル『少年季』のすぐ後に出来た曲で、いい曲だなって思ったんで、1曲目にしようって」

――その「なないろ」、ラストの間奏がすっごくよかったです!
倉島「あれ、いいですよね」
島田「スタジオで結構煮詰めていく時間があったっていうか、ライヴでもできたし。激しくなるところとかは、ライヴって感じじゃないですか。それをスタジオでやってもすごい緊張感があって。本当、1回落として、たたみかけるっていうのが、録ってる時とかも、やってるほうとしたら、結構ノリノリで」
倉島「他の曲はリバーヴ使ったり、浮遊感だったり、サウンドの広がりみたいなものを空間的に表現したりしてるんですけど、『なないろ』に関しては、いろいろミックスしてみたんですけど、リバーヴとかがすごい似合わなくて。だから録ったその状態の音なんですよ。そういうところでライヴ感が出たんじゃないかなって」

――「少年季」を除けば、唯一ライヴでやった曲です?
倉島「あと『死んで行く僕らの目に』もやりましたね」

――じゃあ、そこである程度、アレンジは固まってた?
倉島「ライヴとレコーディングではアレンジ違うんですよ。詞もノリも変えたんで。たぶん、一番作り込んだのが『死んで行く僕らの目に』。僕らの好きなサウンドアドバイザーさんといろんなことやったんで」
島田「ライヴでやったのとまったく違う方向に持っていくのは大変でしたね。前に聴いてたものが頭の中に残ってたんで、難しかったです」
宮下「本当に大変でした(笑)」
倉島「このアルバムの中では、『少年季』を除けば、『なないろ』の次に出来た曲なんですけど、録ったのは最後から2番目とか3番目なんですよ」

――かなり煮詰めたんですね。ギターはもちろん、リズム隊もいろんなことやってますよね?
島田&宮下「…そうですね(照笑)」

――例えばベースをギターのように弾いてたり。
島田「頭の中に浮かんだものを、ベースっぽく変えるっていうのが、あまり好きじゃないんですよ。頭に浮かんだものをそのまま弾くっていうのが、自分でいいかなって思ってるんですよね(照笑)」
倉島「第2の歌メロをつけてる感覚らしいんですよ」
島田「歌を歌う感覚でつける感じですかね」

――へぇ~!あと「かけら」。疾走感のあるサウンドで、これはドラムが良かったんですよ。
宮下「いや、全然(笑)。やりたいことやったって感じで」

――そして、詞なんですけど、なんとも言えなく切なくて胸に染みてくるんですよね…どんな感じで作ってるんです?
倉島「曲の雰囲気で歌詞を作っていく時もあるし、ある一節が浮かんで、そこから広がっていく時もあったり。曲が出来たら机に向かってシャーペン持って…9時間ぐらい微動だにせずに(笑)。それが30日ぐらい続いたんで、辛かったですね(笑)。早く書けた詞はないんですけど、意外と『心臓』は早かったかな。レコーディング中、本当ギリギリに一番最後に書いたんですよ」

――歌詞の内容見るだけで、いいレコーディングだったんだなって感じられる前向きな詞ですね。ちなみに「菫に似ている」はどんなふうに書いていったんですかね?
倉島「1つ書いておきたいことがあって、その詞なんですよね。すごくイメージ的な曲だと思うんで」

――苦戦したものってありました?
倉島「全部苦戦してます。さっきの9時間っていうのは冗談で、連続9時間やってたわけじゃないけど、全部9時間以上ですね(笑)。一日で書けた詞は1つもないですね。(サザエさんの)伊佐坂先生の気持ちがよくわかった(笑)」

――(笑)。かなり充実の10曲だったと思うんですけど、これはもう達成感あるんじゃないですか?
倉島「そうですね、すごい気に入ってますね。高校に入る時の受験勉強ぐらいかな、こんなに頑張ったの(笑)。それぐらい頑張った。どの曲も思い出深いし。曲を書く立場から言うと、もうちょっといろんな幅を広げてみたいなって。今までなかった曲を何曲もやったりすると、失敗するかもしれないじゃないですか。そういう不安もありつつ、正直なところ、作ったところもあるんですけど、ガッチリできましたからね。だから充実感はすごいありますね」
島田「うん。自分ではすごい納得してる」
宮下「トータル的に聴いた時に、いろんなものが入ってて、1枚聴いて1つのものになってるっていう感じに出来たし」

――正直、詞の内容とヴォーカルに引っ張られて、10曲聴いたらサウンドが重く聴こえるんじゃないかなって思ってたんです。それが楽曲の面白さで緩和された気がします。
倉島「すごい前向きな気持ちで作ってたんで、やりたいこともあったし、そういうところから下手にありきたりにならなかったからじゃないかなという気がします」

――リリース後、ツアーがありますよね。
宮下「ライヴっていうものに関して、作ってやるのって嫌いなんで、自分たちがその時思ってることとかを吐き出していけばいいかなって思います」



006

「キセキ」
リリース時
メンバーサイン入りポスター


007

「キセキ」
リリース時フライヤー




008

ツアー「虹まち」
配布フライヤー


009

「少年季」リリース時
アーティスト写真セレクトシート


010

「キセキ」リリース時
アーティスト写真セレクトシート


011

TOUR“セツナ19”
配布フライヤー




012

TOUR“セツナ19”
配布フライヤー


013

ステッカー




014

PV「なないろ」絵コンテ




























015

「つゆこうもり」フライヤー